作品紹介イノセンス

2003年12月1日(月)

打ち合わせの時刻よりも若干早くIN。
新たに詰め込まれたスケジュールの確認、諸々段取りなど。
打ち合わせ後、若林氏が準備中のビデオを待つ間に大急ぎでウドンをかっ込み、ビデオ回収後に品川のオーブへ。

先のビデオが再生できる環境がないことが発覚。
しかし、音楽のタイミングを計るために、カントクに負けず劣らず超多忙の若林氏が、アフレコの未収録部分を「個人的に」埋めてくれた努力を無駄にはできません。
なんとしても今日中に必要だということで、再度手配。

先日収録したオルゴール曲の仕込みをみっちりと。
新聞屋のあんちゃんが配達に出かけるころ帰宅。

2003年12月2日(火)

ここのところ、連日取材やらインタビューやらの申し込みが多数あり。
そりゃもうビックリするほど多数。
映画の制作をしているんだか、カントクのマネージャーをしているんだかわからなくなってきました。
基本的には現場の作業を優先せざるを得ない状況ですので、せっかく頂いたお話を申し訳ないのですが、端からお断りしております。
映画が完成できるか否かの瀬戸際ですので、関係諸氏には何卒ご理解いただきたいと思います。
完成の暁には、取材でも宣伝でも如何様にでも協力します。させていただきますとも、ええ。

カントクは、映画さえ完成すれば熱海に帰って愛犬とのんびりできると思っているようで、時折虚空を見上げては彼の地に想いを馳せているようですが、そんなはずないでしょ。
取材も原稿も、スベテを投げ出して帰りたくなるキモチがわからないでもありませんが、それもカントクの勤めですからね。

2003年12月3日(水)

取材が始まる時間丁度に、珍しくカントクの方から電話が。
ナヌ! まだ三鷹に居るですと!? 今まさにアパートを出るところって……じゃぁダメじゃん!!
勘弁してくださいよ、マッタク……。

電話嫌いのカントクは、確認や念押しの電話をすると(おそらくは受話器の向う側で)、露骨に嫌な顔をします。
だからと言って連絡を怠るとたちまち今日のような体たらくでは、電話攻撃に情けは無用という結論でよろしいですね? よろしくなくとも同じ結論にしかなりませんが。

遅刻した分、すぐ後ろに控えていた打ち合わせの開始が遅れ、更に後の音楽作業が……。

この上「腹が減った」とか、聞きたくありません!
聞こえませんってば!!

2003年12月4日(木)

ムック用の取材。4時間のロングインタビュー。
終わるとすぐにスタジオジブリへ。対談取材。

移動の時間もままならない今日このごろ。
車の中でおにぎりパクつくなんて、ずいぶん久しぶりだなぁ、はは……。

2003年12月5日(金)

アフレコ、ヌキ録り分。竹中直人氏オンリー。
竹中さんって、大物になっても腰の低い方ですね。
ご自身で監督まで経験されていてもカントクのことをとても立ててくれているし、演技にもとても真摯で好感の持てる方でした。
相変わらず味のある声で、作品に強烈なスパイスを加えていただけた感あり。

終了後、ムックの打ち合わせ。
ありきたりのファンブックではない、本当に望まれている書になりそうな予感。
作るのは大変そうだけど……。

夕方からオーブにて音楽作業。
カントクだけかと思っていたら、川井氏、若林氏のお二人にも麻雀の禁断症状が。
業務連絡的会話が、時折発作的に麻雀用語に置き代えられてしまって、わけがわかりません。
みんな疲れてるのね。

今日も新聞屋のあんちゃんと競争しながら帰宅。

2003年12月6日(土)

GONG収録。平たく言えば銅鑼ですな。
小は20cmから大は1m20cmまで、20種もの銅鑼が揃えられ、楽曲に厚味を加えます。
試しに一番大きいヤツを叩かせてもらいましたが、やはりナマは迫力が違いますな。
家にも1枚欲しいかも。

カントクもおもしろがってドカドカ叩きまくってましたが、少しはストレスの解消になったかな?

2003年12月7日(日)

引き続き音楽作業。

私がヤボ用で中抜けしているうちに、本日分の作業は終了。
申し訳ない。

スタジオに戻るとカントクがボソリと「日付が変わる前に帰れてウレシイなぁ」と。

何だか素直には聞けませんね。

2003年12月8日(月)

最近車で移動する機会が増えたのは、単にカントクが横着だからというだけでなく、電車が動いている時間に帰れるとは限らないからでもありますが、おかげでいままであまり語られることのなかったカントクの過去について聞く機会ができたりもしました。
またしても突然ですが、カントクの昔話をちょっとだけご紹介します。

アルバイトのこと
「とにかく金がなかった」という学生時代、手当たりしだいにアルバイトをしまくったそうです。
やたらときつかったガソリンスタンド、深夜の撮影所大道具、1日で辞めたちり紙交換など、多種多様のバイトを転々としたとのこと。稼いだ金のほとんどがフィルム代と現像費に消えていくなかで、埼玉にある某自動車工場で短期間に稼いだ金で中古のカメラを買えたのが、とてもうれしかったとか。
この自動車工場には私も勤めていたことがあったりして、もちろん年代が違うので顔を会わせたりはしていませんが、勝手はよくわかります。確かに、当時のバイト君にとって高嶺の花だったカメラを、中古とはいえ買うことができたのですから、効率の良い仕事だったのでしょう。
苦労して稼いだ金の使い道からしても、絵に描いたような映画青年だったんですね。

2003年12月9日(火)

受験のこと
入試1週間前、ナニやらほかのことで忙しくて受験勉強をマッタクやっていなかった(ことに気づいた)押井少年。さすがにマズイと思い、受験対策の参考書を購入してくるも、その膨大な厚さに戦意喪失。
それまでの己の所業はすべて棚に上げ、1週間でナニができるんだとばかりに開き直った揚げ句、ままよとばかりヤマを張ったところの、さら偶数ページのみを頭に叩き込んで受験に望んだ。*
普通ならここで玉砕して一巻の終わり、世間はそんなに甘くないというありきたりの結果になるハズですが、普通じゃなかった彼は、見事に合格してしまいます。
そんなアホな!とお思いかもしれませんが、事実とはそんなものです。
合格の知らせを聞いて愕然とする高校の担任に、ざまぁ見ろ!と言い放ったそうです。心の中で。
絶対不合格の下馬評を見事にひっくり返した少年が、この世は俺様を中心にまわっているんだ、などと思うようになっていったことは想像に難くありませんね。

* 良い子は絶対にマネをしてはいけません。

2003年12月10日(水)

就職のこと
某テレビ番組制作会社の入社試験に落ち、ラジオ番組の制作会社に滑り込んだものの、逃げ出すことに決めたある日、電柱の求人広告を見て竜の子プロダクションに駆け込んだカントク。
いかに業界中が万年人手不足だった当時とて、地元の電信柱に「アニメーションの演出募集」の張り紙とはいささか暴挙に過ぎる気もしますが、応募する方もただ者ではありませんでした。
実際には「ガッチャマン」のオンエアを1~2回見たことがあるだけで、アニメーションのアの字にも興味なかったくせに、面接のその場で「御社の製作されたアニメーションは、すべて見ました」などと口からでまかせ言って、見事に職にありついたのでした。*
その後も、まったく未経験の新人演出などという、今聞くとゾッとする様な立場に臆することもなく、その才能を遺憾なく発揮しまくって現在に至る基盤を作ったわけですから、人間ナニが災い……もとい、さいわいするかわかりませんね。

* くどいようですが、良い子は絶対にマネをしてはいけません。

2003年12月11日(木)

出版関係の打ち合わせ、続いて取材。
合間にコロッケバーガーをパクついて、グッズ等にサインを入れまくり、原稿のチェック……までは手がまわらず、時間切れ。
取材後、主題歌のラフミックスが届いたので、早速聴いてみる。
オーブに連絡し、明日会ったときに打ち合わせを、と伝言を頼むと、すぐに川井氏より折り返し電話が。「すぐにでも作業にかかりたい」とのことで、そのまま電話で打ち合わせ。
その後も各種チェックなど多数。合間で忘年会に行けない愚痴など。

いよいよ押し迫ってきました。いろんなモノが……。
明日は地方巡業だし。

2003年12月12日(金)

栃木にある大谷資料館にて、オルゴール曲の収録。
塀や蔵などに多く用いられる石材の大谷石を切り出した跡にできた巨大な地下空間を音場として、先に収録した楽曲を鳴らして再収録します。
スタジオやシュミレーションでは再現することができない、特殊な反響と残響が狙いです。
一般の観光客が帰り、通常閉館となる夕方からセッティングし始め、夜半より収録開始。
例によってチャレンジャー川井憲次氏の新しい試みで、実際に音を鳴らしてみるまでは半信半疑だったとのことですが、結果は大成功。カントクも大満足の仕上がりでした。
霧の中、道を間違えて遅刻するわ、寒くてガタガタ震えるわ、おまけに会社の忘年会には出られないわで、失敗したら立ち直れないダメージになりそうな録りでしたが、すべてを払拭して余りある成果でした。

新聞屋のあんちゃんを蹴っ飛ばしそうになりながら帰宅。
師走とて忙しいのは分るけど、一方通行逆走一時停止無視で飛び出すのはカンベンしてよ。

2003年12月14日(日)

アフレコ最終日。
大塚氏と山寺氏はあいかわらず安心して聞いていられるが、夕方から録り始めた外国語のモブシーンが手間取り、予定よりかなり時間が押して終了。
ロシア語・中国語・韓国語など、いずれも一般の人たちばかり10~15人くらいを3回のインターバル。
12時間以上スタジオにカンヅメというのはさすがにつらいが、サウンドのミックスはさらに大変だろうなぁ。

2003年12月15日(月)

一口坂スタジオにて音楽作業。
先日オープニングのデモ録りをしたお姉様方再登場。
あいかわらず迫力の声楽ですが、スタミナ面でも驚異的な方々ですな。
よくブッ通しであの声で歌い続けられるもんだ。

終了後に記念撮影なぞ。
お姉様方とニヤケたカントクの写真。どこかで使っちゃおうかな。

2003年12月16日(火)

引き続き音楽作業。パーカッション収録など。

今日は朝一から別件で動いていたカントク。目が死にかけてますよ。
昨日一日なにをしたのか思い出せない? そりゃヤバイ。
すでに「学園祭前日」状態に突入して久しいというのに……。

2003年12月17日(水)

そんなわけで、今日も学園祭前日。
お祭りらしく、収録スタジオには大小取り混ぜた太鼓が、所狭しと置かれています。
巨大な鼓(つづみ)・和太鼓・コンガなど、種類も多種多様。
祭りでもなければ、めったにお目にかかれる光景じゃないことは確かですな。

山と抱えた年内アップの原稿になかなか集中できず、イライラが募ってきた様子のカントク。
目が三角になってますよ。

2003年12月18日(木)

自宅作業の後、一口坂スタジオ入り。
原稿仕事を驚異的なスピードで巻き上げています。
そりゃもう信じ難いスピードですが、懸念としてはその分内容が、例によっていいかげ(以下自粛)

本日のドラムの収録は素晴らしい仕上がりで、即効OK。プロの業(わざ)を見せていただきました。
カントクも大満足。ついでにいつもより早く帰れて、二重に御満悦。

おかげさまで、今日はさらに原稿がはかどることでしょう。

2003年12月19日(金)

赤坂・オムニバスジャパンにて、西久保、林両氏と打ち合わせ。
その後、音楽作業にて一口坂スタジオへ。
エンディング曲オケ録りなど。午前3時終了。

昨日早く帰れた分、原稿ははかどったようですが、まだまだ相当な分量が残っています。
今日はもう原稿を書く気力はないでしょうから、昨日の分の貯金もチャラ。
早く帰ったからといってゆっくり休めるでなし、いよいよ余裕がなくなってきてますね、カントク。

2003年12月20日(土)

弦楽収録。バイオリンからベースまで。
これだけでもかなり立派なオケが録れたと思うんですが、あくまで今までの仕込みにさらに重ねるための素材なんですね。
どえらいぜいたくですが、ご予算の方は大丈夫なのかしらん?
カントク的には贅を極めた音楽に言うことなし、といったところでしょうが、川井氏的にはいかがなものなのでしょうか?

う~ん……怖くて聞けない……。

2003年12月21日(日)

昨夜から風邪気味のカントク。この時期に! 冗談じゃありませんよ!! カンベンしてくださいよ!!!
とりあえずスタミナドリンク飲んでくださいなにか食ってください風邪薬飲んでください寝る前には葛根湯エキスも飲んじゃってください寝たら死ぬぞじゃなくて寝てください休んでくださいとにかく倒れないでください映画が完成してからにしてくださいお願いしますよホントですよマジでシャレになりませんからねいいですね絶対ですよ。
……ウガー!!!

とりあえず帰って寝ていただきます。俺もそうした方が良さそうだし・・・

2003年12月22日(月)

文京シビックホールにて、コーラス収録。おばちゃ……もとい、ちょっと昔のお姉様ばかり70人。
壮観なり。
1800席の大ホールを貸切状態なんてめったにあることじゃないので、おもしろがってあちこち移動しながら聴かせていただきました。
緊張のあまり(?)倒れてしまった方が約1名いたほかは、特に問題なく終了。

カントクはグッタリしていても、川井氏が元気なので大丈夫です。少なくとも音楽は。

2003年12月23日(火)

車でカントクを迎えにいきました。
30分待たされました。
あげく、「見えない所に居たお前が悪い」と怒られました。

世の中は矛盾でいっぱいです。

2003年12月24日(水)

主題歌および挿入歌収録。
伊藤君子さんの歌を聴きながらのクリスマスイブ、と言えばなんだかリッチな気分に……やっぱり、いまひとつなりきれませんな。仕事だし。
歌は最高だし、収録後にケーキもごちそうになりました。さて、足りないものはなんでしょう?

……酒か?

2003年12月25日(木)

年内最後のチャンスですので、取材を4件。
明日からは河口湖にあるスタジオで合宿状態です。カンヅメとも言います。
カントクは「残った原稿は河口湖に勝負を賭ける!」と力説していましたが、原稿を書く暇なんてあるんでしょうか?

2003年12月26日(金)

12月26日(金)~29日(月)河口湖スタジオにて音楽トラックダウン。
今まで仕込んで来た数々の音素材を融合させ、楽曲として完成させるための、音楽作業の最終工程である。

初日。

中央高速、河口湖インターチェンジ。通過。……って、通過しちゃダメじゃん!
ただでさえ不慣れな夜道なのに、道は間違えるわ助手席のカントクは俺の数倍も方向音痴だわ、こんなことで目的地にたどり着くことができるのか?

予定より30分ほど遅刻するも、なんとか無事に到着。若干遅れて川井氏御一行も到着。
ミキサーさんは朝から動いていたので作業は順調に進んでいるとのこと。お疲れ様です。

夕食後に一休みして、最初の曲のチェック。
胃の腑に応える重厚さに圧倒されるばかりで、言葉もなし。
それでもカントクは、ナニゴトか注文をつけています。

夜半過ぎに2曲目。
せりふの調整を終えて駆け付けた若林氏も交えてチェック。
静電気のノイズが出るなどのトラブルはあったものの、無事終了。

すでに丑三つ時ですが、初日作業の成功を祝って乾杯。

2003年12月27日(土)

2日目。

カントクのイビキで起床。お返しに2度ほど起こそうとしてみるが、断念。
放っておいても食事の時間になったら起きてきたので、食い意地だけは健在なようです。超多忙な若林氏はすでに旅立った模様。本当にお疲れ様です。

再版予定の本のゲラチェックをしているところに来客あり。
こちらでは図りかねるので具体的な表記は避けますが、山のようなゲラチェックと膨大な原稿執筆を先送りにしても対応するべき大切なお客様だったようです。

音楽作業の方は順調に進み、本日も2曲分を完了。

2003年12月28日(日)

3日目。

おしゃべりが過ぎて朝7時ごろやっと床についたカントクを置き去りに、お先に朝食。
いいかげん、年齢というものを考えて加減した方が良いと思うのは、俺だけじゃないはず……ですよね。

ビクターエンタテインメントの石川氏、同じく佐々木氏が合流。
音楽業界も毎度盆暮れ正月なしですか?

トラックダウン作業は順調でも、それ以外がまったく順調でないカントク。さすがに疲労と焦りの色が見えてきました。踏ん張りどころですな。
散々愚図った揚げ句、ようやく重たい腰が上がってパソコンに向かうや、なんと一気に原稿を書き上げてしまう。
やればできるんだから、世話を焼かせないでくださいよ、マッタク。

2003年12月29日(月)

最終日。

やはり多忙な佐々木氏は朝一で帰られたようですが、食卓の上に放送禁止用語な書き置きはいかがなものかと。おもしろいからいいけど。

まったりとした昼下がり、社長の石川氏が登場。夢見が悪かったとかで、心配になって見にきたそうな。完成した楽曲をいくつか試聴し終わると、安心してすぐに帰るとのこと。
てっきり熱海まで送ってもらえると思い込んでいたカントクが、社長の足にすがりついて駄々をこね始める。結局、社長命令で俺が送る羽目に。またすぐそうやって甘やか(以下自粛)

予定の楽曲は夜半までにすべて作業終了。
引き続きコピーとバックアップの作業をお願いして、カントクだけ一足お先に退散することに。
僕ですか? 僕にはまだ、雪の峠を越えてカントクを熱海までお送りするという重要な仕事がありますし、その後はまた国分寺で仕事です。決して皆さんだけを働かせておいて、自分だけ休もうなんて考えたこともありませんよ。いや、ホントに。

年明け一番からは渡米しての音響作業が控えているとはいえ、着実にまた1つ、それも音楽という重要な山場を乗り越え、完成に近づいた映画「イノセンス」。
手応えは十二分。絶対の自信作です。
スープを入れ忘れられたカップめんが思い出の味となった河口湖スタジオを後にしつつ、思いはカントクと同じ。「後は絵さえ上がれば……」。

それでは皆さん、お疲れ様でした。良いお年を。