「環境倫理 Environmental Ethics」

かつてウェーバーは、プロテスタント的倫理観を取り上げ、その禁欲を重んじ、天国に宝を積むかのような節制を旨とする精神性が、図らずも、物欲を犠牲にしても今期の出費を抑え、可能な限り来期の投資分に向けて貨幣を退蔵する資本主義経済の投機心理の基礎を形成するのに貢献したと論じた。

ウェーバーの論を踏襲する形で、新世紀において、資本主義を規定する新たなエートスをあえて見いだすとすれば、環境倫理が挙げられるだろう。環境倫理を要請する根拠は、主に2つ見いだされた。1つは、動植物が地球上に存続しつづける生存権利を主張するもの。そしてもう1つは、人間の来たるべき未来の世代のために環境保存することを義務と考えるものの2つである。これら動植物や未来の世代は、既存の経済活動においては想定されてこなかった要素であったが、前者はいわば空間的な他者を、後半は時間的な他者を我々の視点に内含させることで、環境保全の必然性を正当化した。

環境保全は、一度消費対象として経済活動に内部化されたはずの外部環境資源を、再度消費対象としての外部たるべく、積極的に排出して留保する機能を果たした。かくして資本主義経済を基調とした社会システムは、新世紀においても維持された。と言っても格別特筆すべきことではないかもしれない。ウォーラステインが述べたように、資本主義に関して驚くべきことは、それがいかに急速な発展を遂げたかではなく、むしろ逆に、いかに緩慢にしか進展しなかったかという点にある。資本主義は、資本主義の相対的な後進地域を常に保存し、再生産し、活用しながら今もなお緩慢な拡張を続けていた。