作品紹介シュヴァリエ

第6回 文芸プロデューサー 柴田維の言葉ありき!「新王道」

『シュヴァリエ』の原作、脚本を手がけている冲方丁氏。そんな冲方氏を影で支えるのが、文芸プロデューサーの柴田維氏だ。文芸プロデューサーとは聞きなれない言葉だが、彼が本作で果たしている役割について伺った。

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名前
柴田維(しばた・ゆい)
役職
株式会社ティー・オーエンタテインメント常務取締役 企画統括プロデューサー
経歴
角川書店入社後、富士見事業部(現・富士見書房)に配属。富士見ファンタジア文庫などライトノベル系の小説を中心に、50冊以上の書籍を制作。当時から編集者として映像企画にも関わり、現在の会社に籍を移してからは、冲方丁のエージェントを務めるなど、作家と共に企画の開発及びプロデュース業へとさらに幅を広げている敏腕プロデューサー。

——『シュヴァリエ』の企画のきっかけは?

 2年前、冲方丁さんのエージェントとして冲方さんから企画書を受け取ったのが始まりです。出資者を募るためにアメリカまナ行ったりしました。無謀すぎましたが(苦笑)。いくつか売り込みを続ける中、冲方さんが「いつかプロダクション I.Gとやりたい」と言っていたのを思い出して、“いつか”なら“今”やろうと、プロダクション I.Gに制作をお願いすることになりました。

 

——文芸プロデューサーとは聞きなれませんが、どんなことを行われるのでしょうか?

 僕も聞きなれません(笑)。要は冲方さんの担当編集者みたいな仕事です。冲方さんがいいアイデアが浮かんだと言えば朝まで語り合い、どうしたら面白くなるかを延々話し合って、監督や本読みメンバーの皆さんに提案したり。

 今回は展開が大きいので、冲方さんが一人でやりきれないスケジュールの管理なども行っています。肩書きがあっての仕事ではなく、自分に求められるものに対して答えようとしているだけです。宣伝の展開、チラシ作り、PRなどの企画もやっています。とにかく無事に作品ができて、世の中に届くまで見届けたい一心ですね。

——柴田さんの目からみて『シュヴァリエ』の見所はどこでしょうか?

 あらためて『シュヴァリエ』の何がいいんだろうと考えると、登場人物も多くて一見難しそうに見えるんですが、実は王道のストーリーになっている点です。お姉ちゃん想いの弟がいて、姉ちゃんを殺した奴を「何としてでも探さなきゃ!」と、頑張っている。そこに色んな人間が絡んできて、しかもお姉ちゃんが実は偉い人で、気が付いたら大きなことに巻き込まれちゃっている。

 物語のスケールが大きくて、人数も多いから複雑に見えるんですけど、構造はシンプルで、まるで米国のドラマ『24』のようです。逆に複線が綿密に張られているので、何度見ても毎度新発見があるはずです。
「誰がリアを殺したのか? その理由は?」の答えが明かされていく中で、それぞれのキャラクターの人生が描かれていきます。一人一人が“生きている人”なんです。劇中で誰かが死んでしまった時には、スタッフさえも泣いてしまったくらいに。

 そして、この作品は昔の話に見えて、今の時代にも共通していると思うんです。革命が起きるというのは、実は今までの生活様式が全部変わってしまうこと――それは実はとても恐ろしいことなんです。わかりやすく言うと、昨日まで必死に貯めた100万円が、今日から突然牛丼一杯の価格になってしまうようなショックさです。

 今、さまざまな変化が起きているなかで、いったい個人はどのように生きていったらいいのかが、それぞれのキャラを通して感じられるはずです。革命によって、個人はどれだけ振り回されちゃうのかっていう悲しさも見える。だからこそ、その中を生き抜く人の希望も見えるのではないかと思っています。

——『シュヴァリエ』を作っていくなかで、何か変化したことってありますか?

 僕にとって作品をつくる素晴らしさというのは、新しい人と出会えるということなんです。本作のスタッフはもちろん、放映後に街で通りすぎた人が「昨日の『シュヴァリエ』観た!?」って言っているのを聞くだけで出会いだと思っているんです。本当はその人を抱きしめたいくらい(笑)。

 例えば今、十代で「『シュヴァリエ』を観てクリエイターになった」という子がこれからでてくるわけですよ。何てすごい仕事をやらせてもらえているんだろう、と思います。

 今回は特に制作陣の入れ込みようが尋常じゃなかったので、たくさん刺激をもらいました。改めて「これまで以上に真剣に作ろう」って気持ちになっています。

——『シュヴァリエ』を観ていくなかで、特に注目したらいいのはどこでしょうか?

 メインポスターのキャッチ「あの出会いは 終焉の始まりだった」は宣伝会議でみんなで必死に考えました。このキャッチをいつも頭に思い浮かべながら本編を見て欲しい。それぞれの出会いが終焉の始まりという切なさ、けれど終わりは、始まりでもある、という希望を感じてもらえたら嬉しいです。